最大の転機から得たものとは

おはようございます^^
展示会活用アドバイザーの大島節子です。

カラッと乾いたいいお天気。そんな大阪から今日もブログをお届けします。

自分史上最大の転機はいつだったのか

自分史上最大の転機とは何だったのかを考える機会がありまして、思い返してみたところ、私にとっての最大の転機はやはり「社長になったこと」だったんじゃないかなぁと。

そしてその最大の転機から得られたものは大きく言うと「自由」だ思うのです。

大学を卒業してそのまま家業マルワ什器に入ったのですが、当初は父親の後を継がなくてすむなら継ぎたくないと思っていたような気がします。

それが入社4年目に売上の95%以上を占める得意先が倒産する、という事件がありまして、時を同じくして父親の病気がどんどん悪くなっていって、私が事業を引き継ぎ先頭に立って新規営業をして連鎖倒産を回避するか、商売自体をやめるかという選択を迫られたんですね。

そのときに私は自分が会社を継いでマルワ什器を継続させる道を選びました。理由は悔しかったからです。父が起業してからまだ14年しか経っていなかったので、今やめてしまったら父の起業は失敗だったと周りから言われるだろう、と。私はそれが我慢ならなかったのでした。

もちろん不安はありました。営業をしたことがない自分がこれから会社を維持していくだけの売上を作っていくことができるのだろうか、という不安。また社長としての責任を自分なんかが背負いきれるのだろうか、という不安もありました。

社長になってから早13年になりますが、最初の売上に対する不安は4年ほどかけて解消できました。2008年に得意先倒産前と同じ水準まで売上を回復することができ、自分なりの売上の作り方というものが経験からわかったのがこの頃です。

2つ目の責任を背負いきれるのかという不安が解消するまでには7年かかりました。責任を負うものだけが自分で決断できその先に自由がある、ということは理屈ではもっと早くからわかっていたのですが、7年間は頭のどこかにこのしんどいポジションから逃げたいという思いがありました。2011年の震災を機に人生観が変わったことがきっかけになりました。

自ら責任を負い決断し売上を作り出す術を持つことによって得られる「自由」。もし私が転機に「社長になること」を選択しなかったらどれも手に入れていなかったのではないかと思います。

よって私の人生の転機は「社長になったこと」であり、それによって得られたものは「自由」だといえます。

更に言うと私がなぜ展活を立ち上げたのかとう問いへのこたえもここにあると思うのです。20代後半からずっと家業を守るためだけに生きてきました。そこには辛いこともあったけど、そこを乗り越えたから本当にほしかったものを手に入れることができました。

日本中にいらっしゃるであろう後継者として先代の後を継ぐことへの不安をお持ちの方が展活と出会うことで展示会という新規獲得の手段を持ち、不安を自信に変えていってほしい。その過程を私に手伝わせてほしいのです。

私のライフワークは後継者支援で展活はその手段の一つです。今までこういう言い方をしたことはありませんでしたが「最大の転機」について考えてみることで気付くことができました。まだ上手く言葉にしきれていない部分もあるので引き続き考えていきたいと思います。

まとめ

今朝のブログでは最大の転機から得たものについて考えてみました。

今日もお読みいただきありがとうございます。

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大島 節子

展示会活用アドバイザー展活
1975年 大阪市生まれ。1998年家業マルワ什器入社。2001年、26歳のときに売上の95%以上を占める得意先が倒産する、という人生の試練を経験。連鎖倒産の危機を回避し家業を立て直す過程で多くの展示会現場に携わる。これまで関わってきた1000件を超える展示会経験を元に2012年展示会情報サイト「展活」を開設。2013年からは展示会セミナーの講師として活動開始。登壇回数200回以上、指導人数6,000人以上の実績。展示会初出展企業にも具体的でわかりやすい指導が好評を得ている。