21年が経ちました
おはようございます^^
自社の問題解決力を見える化し展示会を成功に導く、展示会活用アドバイザーの大島節子です。
9月最終日。そんな早朝の大阪から今朝も展活タイムズをお届けします。
不器用で無様な21年間の記録
9月29日は私が(有)マルワ什器の社長になって丸21年の記念日でした。29歳で家業を継ぎ、気づけばあっという間の月日です。
これは不器用な人間がなんとか社会で生きていくために、無様にもがいてきた記録です。スマートな成功法則は何一つありません。こんな話が誰かに響くとは思えませんが、書いてみます。
始まりは、絶望だった。(2001-2004)
私の仕事人生の本当の始まりは、社長になる3年前、2001年9月のことでした。 アメリカで9.11のテロが起きた、わずか4日後。当時、売上のほとんどを依存していた大手スーパー「マイカル」が倒産。売上は一夜にして消えました。
それまで迷いながら家業を手伝っていた私に、突如として「自分がなんとかしなければ」というスイッチが入りました。
手当たり次第にビジネス書を読み漁り、慣れない新規営業に駆けずり回りました。でも全く上手くいかない。2002年パソコンと“ホームページビルダー”というソフトを自費で買い、完全手作りでウェブサイトを開設。人脈を作らなければと異業種交流会にも顔を出すようになりました。
しかし現実は甘くありません。情報はもらえても一向に売上には繋がらない。個人貯蓄も会社の資金繰りに消え、いよいよ底が見えてきた2003年。私は最後の10万円を握りしめ、大阪市が主催する「売って儲ける社長道場」というビジネス講座に参加しました。
そこで教わった通りに動くと、初めて自分の力で仕事が取れたのです。時を同じくして手作りのウェブサイトからも、新規の問い合わせが届くようになりました。光が差した瞬間でした。翌2004年、前年比1.5倍の売上を達成したのを機に、私は正式に社長になりました。

成長の裏側で、心は削られていった。(2004-2010)
ウェブの力は絶大でした。当時、まだネットで什器を扱うサイトはなかったのでおもしろいように先行者利益を得ることができました。2005年にネットショップの講座も受け、ウェブ経由の売上はどんどん会社の柱になっていきました。連鎖倒産の危機は、完全に過去のものとなりました。
しかしその裏側で私の心は静かに削られていきました。 たった1社としか仕事をしたことがなかった20代の若者が、急に年間400社もの、顔も知らない大人たちを相手にする。私が社長だから矢面に立つのも自分。最後の責任を取るのも自分。売上を踏み倒され、裏切られることもありました。商品を持ち逃げされました。若い女だからと甘く見られ、数えられないほど悔しい思いをしました。
人を雇ってもことごとく上手くいかない。それでも会社を存続させるためには、私が前に進むしかない。歯を食いしばる日々が続き、私の心は年々すり減っていきました。
そして2009~2010年にかけて、ついに燃え尽きました。「うつ病」との診断。 人に会えず、電話にも出られず、ベッドから起き上がれない。ただ会社を潰さないためだけに、最低限の経理事務をこなすだけの日々でした。
別れと、再生の誓い(2011-2012)
2011年3月11日。東日本大震災。 ネットショップの勉強会でご一緒していた一つ年下の女性が津波で亡くなったと知らされました。
その知らせを聞いた時、私が感じた感情は悲しみよりも先に強烈な「恥ずかしさ」と「情けなさ」でした。 彼女が必死に生きようとしていたその瞬間に、私は大阪の安全なベッドの上で「どうやって死のうか」と考えていた。そのことがたまらなく恥ずかしかった。涙が止まりませんでした。彼女に申し訳なくて。
その日私はもう一度「生きなおそう」と決めました。そして、かつて自分を救ってくれたウェブを軸に、もう心を消耗しなくても働ける方法を作ろうと考え始めました。
そうして2012年に生まれたのが、今の私の原点である「展示会情報サイト 展活」です。私を苦しめるタイプのお客さんや従業員を相手にしなくても、自分らしく価値を提供できる仕組み。それは私のための“生きるための手段”でした。
経営者ではなく、専門家として生きていく。(2012-現在)
展活は順調に成長し、講師の依頼もたくさん頂けるようになりました。 そんな中、2016年に転機が訪れます。長年患っていた父が亡くなったのです。あと半年で父が創業したマルワ什器は30周年を迎えるところでした。
私は父を社葬で見送りました。30年続いた会社の創業者としてきちんと弔い、父を送ってあげられたことで、私の肩からふっと何かが降りた気がしました。
「私はもう経営者を目指さない。専門家として生きていこう」そう決意した瞬間でした。
それから「展活」はますます発展しました。 2020年コロナ禍で世界中から展示会が消えた時も、私は慌てませんでした。2002年から続けてきたウェブサイトでのビジネス経験があったから、瞬時にオンライン展示会指導へ舵を切ることができ、講演依頼が途絶えることはありませんでした。
あの手探りでもがく日々が時を経て、自分を助けてくれたのです。2024年には初めての出版が叶い、2026年には2冊目の本が出ます。
まとめ
これが私の21年間です。 不器用で、無様で、決して成功物語ではありません。 でもあの日の絶望も、たくさんの失敗も、心の痛みも、全てが今の私に繋がっています。
もし今どこかで同じように必死にもがいている人がいるなら。 それ決して無駄じゃない。あなたが生きるために戦っている、何よりも尊い記録なのだと伝えたいです。
今日もお読みいただきありがとうございます。

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大島 節子

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