出版への道⑤ 書き続けた24年の軌跡(2002年~)

おはようございます^^
自社の問題解決力を見える化し展示会を成功に導く、展示会活用アドバイザーの大島節子です。

雨のお天気が多い一週間になりそう。せっかくの桜のピークなのに。そんな早朝の大阪から今朝も展活タイムズをお届けします。

私が文章を書き続けてきた歴史

今年は2冊目の本が出版される予定ですが「どうして文章が書けるの?」と聞かれることがあります。今回の出版への道⑤では、私が人に読んでもらうための文章を書き続けてきた歴史について振り返ってみたいと思います。

>>これまでの「出版への道」はこちら

2002年:原点「マルワウィークリー」

ウェブ上で発信を始めてから今年で24年目になります。私の最初の発信は24年前の2002年6月。「マルワ什器の看板娘・大島節子のマルワウィークリー」というコーナーでした。 当時はまだブログなんて便利な仕組みはなくて、ホームページビルダーというソフトを使ってHTMLでページを作っていました。

その時のご挨拶文がこちらです。

ずっとつくりたかったホームページがやっと形になりました。調子に乗って、日記のページまで作ってしまいました。これから、週1回のペースで続けていきたいと思います。

このページを通して、どんな出会いが待っているんだろうと思うと、ワクワクして、テンションも上がります。

今まで、マルワ什器は大型スーパーや、ホームセンターと仕事をさせていただいてきました。しかし、昨今の情勢では大きな得意先ひとつに依存していては生き残れません。このページを公開することで、例えば

・今度、サークルでイベントを考えてるんだけど、テントって、どうやって借りるんだろう。
・会場を借りて、2日間だけアウトレットセールをやりたいんだけど、什器が足りない。

など、というような方が、インターネット検索をされたときに、運良くマルワ什器のページに来てくださって、そこからご縁が生まれたらいいな、なんて考えています。

連鎖倒産の危機真っただ中「どうすれば仕事が増えるだろう」と必死だった27歳の私。今読んでも「誰に何を伝えるためのホームページか」がちゃんと明確に言語化されていて、我ながらなかなかのものだなと(笑)。

この頃は毎日トラックに乗って什器を配達。サイトは日曜日に更新していました。

実はこのマルワウィークリー、今でも読める状態にあるんです。何年かに1度、ふと読み返してしまうのですが、当時の自分のあまりの一生懸命さに読みふけってしまい、仕事が全く進まなくなるという困った現象が起きます(笑)。

2005年~:迷走と空白、そして裏側の記録

その後、2005年からは外部サービスを利用したブログ期に入ります(※利用していたgooブログはサービスを終了したため、現在は「はてなブログ」に引っ越しをして今も読めるようになっています)。

土日も関係なく毎日発信していた時期もあれば、ピタッと更新が止まってしまった時期もありました。途中、誰に何を伝えたいのか、何のために働いているのかわからなくなり、完全に迷走していた暗黒期に入ります。 更新が止まっていた時期は心をやられてしまっていました。でもそんな時でも「書くこと」自体はやめておらず、誰にも見せない別のブログにひたすら綴っていました。さすがにその文章を公開することはこれからも絶対にありませんが、書くことはやめていませんでした。

2011年~:区切りのワードプレス期

震災をめぐる出来事がきっかけとなり、迷いに区切りをつけたタイミングで自社サイトにワードプレスを導入しました。

そして2015年2月展活が軌道に乗り始め自分のミッションが明確になったことで、コンセプトを「展示会」に絞った平日毎日更新をスタート。ここからブログをきっかけとしたお仕事の依頼が急増し始めました。

大きな転機となったのは2016年。先代である父を見送ったことが一つの区切りとなり、「什器屋の2代目社長」という肩書きから完全に「展示会の専門家」へと振り切る決断ができました。その決意表明として、2017年に現在の展活サイト(tenkatsu.net)へとブログをお引越ししたのです。

2019年~現在:展活タイムズへの進化と新たな挑戦

2019年にはある会での「ブログってオワコンのイメージがある」という参加者の方の言葉をきっかけに、専門情報を発信するメディアとしての役割を明確にするため名称を「展活タイムズ」に変更しました。

そして2026年3月の今。新しい読者層の方々へと思いを届けるため「note」というプラットフォームでの発信も始めました。

言葉を紡ぐ土壌と発信の継続

20代の毎日朝から晩まで働きづめだった日々も、何のために働いているのかわからなくなった日々も、それでも私が書き続けられたのは、私の中に「言葉を紡ぐ」という土壌があったからです。

その土壌を築いてくれたのは母の読み聞かせでした。 物心がつく前から小学校を卒業するくらいまで、母は毎晩欠かさず本を読んで聞かせてくれました。母を真ん中に弟と3人で川の字で毎晩物語を聴きました。そのおかげで私は文章をすっと理解できるようになり、やがて自分自身の言葉で紡ぐこともできるようになったのだと思います。

「置かれた場所で咲く花を支える土になる」。それが今の私のミッションですが、私自身も母や先人たちが耕してくれた言葉の土壌の上に立っていたのですね。与えられた豊かな土壌の上に24年間泥臭く積み上げてきた「発信の継続」が合わさって、1冊目、そして2冊目の本を出版するという今に繋がっています。これからも私は言葉を発信しつづけていきます。

今日もお読みいただきありがとうございます。

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